内部特別公開! 伊藤博文旧宅へ

 

伊藤博文旧宅は、令和21月~令和312月の2年間の修復工事期間を経て、令和3年1218日より一般公開が再開されました!

修復工事では、茅葺屋根の葺き替えや、漆喰壁の塗り直し、建具や畳などの補修が行われました。
保存工事の様子はこちらからご覧いただけます(萩市ホームページ)

 

通常は、建物の外観のみの見学なのですが、一般公開再開時に、期間限定で特別に内部にあがって室内を見学することができましたので、その様子をお伝えします。
※内部特別公開は終了いたしました




外観。茅(かや)葺き屋根がきれいに修復されました

室内には、伊藤博文をはじめ伊藤家の人々の写真が飾られています。
また、現在は修復工事のようすなどがパネルで展示されています。

外から見るとよく分からなかったのですが、天井が低くて手が届きそうです!

こちらにある板戸は、修復前にはなかったのですが、押入れで嵌め込み戸が発見され、建具の寸法が合致したため、元の位置に戻されました。

玄関横にあるこちらの三畳の間は、伊藤博文の勉強部屋でした。



そして、こちらにある平べったい石・・・
「出世(しゅっせ)石」と呼ばれています!





施設ガイドさんにお話を伺いました。

博文の実家はもともと農民でしたが、14歳の時に伊藤家の養子となりました。
伊藤家は、萩藩の軽卒(けいそつ)(中間(ちゅうげん))とよばれる下級武士で、博文の父母がここで奉公していました。
博文が10歳の時に、伊藤家に一晩泊めてもらうことになったのですが、夜も更けて用を足しに行きたくなりました。当時のトイレは家から少し離れた場所にあったため、夜に行くのは面倒だということで、博文はなんとこの石の上に立って用を足したのです。
そのことを博文の母は「なんて無礼なことを!」と叱り、博文は自らその石のそばに立って反省しました。

そんなやんちゃな時代もありましたが、成長して初代内閣総理大臣を務め、しかも4度も総理大臣になられたことから「出世石」と呼ばれるようになったそうです。


土間には「竈(かまど)」があります。

このかまど、焚き口が室内側にあり、板の間とつながっています。

この形は“江戸竈”といわれ、逆側に焚き口があるものは“京阪(けいはん)竈”といわれます。

こちらの竈は板の間とつながっているので、いったん土間に降りなくても温かいものがすぐに運べるということで効率がよいのと、室内に向かって火を焚くため、暖をとれるようにもなっています。

そして!

ここで火を焚くと、煙が上に上がります。

写真ではわかりにくいですが、この隙間から、かまどの煙が屋根のほうに上がっていきます。
上部は広い空間になっていて、ここに充満する煙によって茅葺き屋根がいぶされて、虫がつきにくくなるんですよ!

 暖も取れて、屋根の防虫効果も高まり、日本家屋の奥深さを感じることができます。

近代日本の礎を築いた伊藤博文が育った旧宅、通常は外観のみの見学となりますが、
今回は特別に内部をご紹介いたしました!

※内部特別公開は終了いたしました